看護師2~5年目9月
2015年4月1日
看護師2年目に突入
まだまだ未熟
2015年3月11日
精神状態がぐらつき久しぶりに感情失禁し欠勤
眠剤18錠を過剰服薬、夜間救急外来に連れて行かれたらしい
2015年5月12日
欠勤と、ODに走った自己嫌悪でアームカット
2015年5月15日
泣きながら診察を受ける
診察中に泣くのは久しぶりだった
いろいろ話して薬を調整してもらう
2015年5月末
再び情緒不安定
2015年7月
情緒不安定。後半から比較的安定してくる
2015年8月18日
抑うつ状態が顕著なため欠勤
涙が止まらず、衝動的に過剰服薬しては腕を切った
精神症状かなんなのか、また胃が食べ物を受け付けられなくなる
2015年8月30日
些細なことで落ち込み、グズグズと泣き続けアームカット
2015年9月
アームカットを繰り返す。希死念慮にも悩まされ続ける
午前4時間のみの勤務にしてもらい、欠勤しながらもなんとか働く
2015年10月
やはり情緒不安定なためしばらく休職、やはり希死念慮に苦しみ、復職後も欠勤が続く
2015年11月
運転免許取得。精神状態も比較的落ち着き、フル日勤再開
2015年12月
比較的精神状態の安定した日が続く
2016年1月
イライラが強く総師長に不満を訴えたり、落ち着かない
2016年2月
また胃に不調を来す
胃カメラにより食道裂孔ヘルニアと幽門部の過形成ポリープが発見される
2016年3月
食欲不振が続き、毎日のように点滴を受ける
遺書を用意し除草剤を購入、服毒自殺しようと決意するが思いとどまる
2016年4月1日
看護師3年目に突入
2016年4月11日
いろいろな思いが頭の中でぐるぐる。考えれば考えるほど、とにかく死んでしまいたいという思いが強くなっていきどうしようもなくなる。数週間前に書いた遺書と、準備していた某除草剤のことを思い出し、もう死んでしまおうと自殺を決意。AM4:00頃、除草剤数10mlを一気に飲む。
除草剤を飲むのはとても苦しく、界面活性剤が気持ち悪く、飲み込んだ直後にそのほとんどを吐き出した。胃酸と除草剤で口の中が酷く不快だったことを覚えている。
その後約30錠の就前薬を飲み、眠り込んでそのまま死のうと入眠する。
12時間ほど眠り続けて目が覚めた。死ねなかった…と落胆する。
悪足掻きで頸部を剃刀で切っていたらその場で嘔吐。
ふと、いつも嘔気嘔吐の際点滴をしてもらっているクリニックに行かなければ、という考えが浮かぶ。やはり死ぬのは怖かったのかもしれない。この時点で17時。
家族には自殺を図って除草剤を飲んだことは話さずに、母とクリニックへと向かった。
Ns.に呼名され、処置室へ向かう際、付き添ってくれたNs.に、ぽつりと、
「本当は、除草剤を飲んだんです…」と話した。
Ns.は「正直に言ってくれたのは良かった」と言ってくれた。
Dr.上申され、総合病院の救急外来に紹介されることになり、Dr.に
「紹介先の他院でもそれ(自傷行為)をするなら、申し訳なくて紹介できない。絶対にしないって約束できるね?」
「向こうの病院で、Dr.やNs.と“取り引き”(おそらく医療者を試すような行為のことだと思う)をするようなことはしないように。
あくまでも薬物中毒の治療に行くんだからね。」と説明される。
さっきのNs.が「大丈夫?自分を大事にね」と声をかけてくれたのが心強かった。
紹介先の救急外来を受診。検査を受け、即刻入院が決定。
「最悪の場合、24~48時間で急死するおそれがあるため、入院となります」と説明を受けた。
本来なら服毒した場合胃洗浄となるが、12時間以上が経過していたため胃洗浄は不可。
腸洗浄を行うことになり、鼻腔からサンプチューブが挿入され、活性炭が注入された。
サンプチューブ挿入時、胃液を大量に嘔吐し、Dr.が「大量嘔吐だ~、誰か膿盆持ってきて~!」と気の抜けた声で叫んだのが印象に残っている。
活性炭注入からおよそ30分後、病衣に着替える際に活性炭を嘔吐。
私は本当に死ぬのかもしれない、と思った。やっぱり心のどこかで死ぬのが怖い気持ちがあったのだろう。
その後ストレッチャーで重症室へ移動、入院となる。ベッドサイドモニターとサンプチューブ、点滴に繋がれることとなった。
ベッドサイドには母が付き添った。付き添わなくていいと言ったが、事情が事情だったため付き添ってほしいと病院側から言われたらしい。
2016年4月12日
日付が変わっても寝付けなかった。
服毒して24時間が経ったAM4:00頃、血圧を測りに来たNs.に「24時間から48時間で死ぬかもしれないと言われましたが、とりあえず24時間、生きていてよかったです」とつぶやいた。
死にたくてやったことだが、本心だった。死ななくてよかったと思う。
この日の日勤帯、重症室から一般の個室に転室する。転室して初めて、外に桜が咲いているのに気が付いた。病室から見えた桜並木は、とてもきれいだった。
2016年4月13日
服毒から48時間が経過しても私は生きていた。大量輸液と腸洗浄が功を奏したのだろう。
午前中のうちにチューブ類は全て外され、食事も許可が下り、退院となった。
退院~2019年9月
比較的安定して経過するも、時々思い出したように精神状態が悪くなって休職したり、アームカットしたりすることもあった。
この間、通称「座間事件」と呼ばれる、自殺志願者が殺される事件があり、気持ちが揺らぐこともあった。それに関して、「生きづらさ」について取材を受けたりもした。
参考»生きづらさを感じる人々17 先生の言葉をきっかけに自殺未遂 現在でも呪縛となる~弥生の場合