看護学校休学
2012年2月
気力や集中力がなくなり成績が落ち、落ち込みや希死念慮など自覚症状を感じはじめるが、私がうつとか絶対ありえねぇ、と思った
また、うつ=不眠というイメージがあったので、ちゃんと眠れてる…ってか寧ろ寝すぎな位だし…と可能性を除外
私がうつだなんて、本当に苦しんでる患者さんに失礼だろ!って思ったし。
とにかく自分は絶対違うと考えてた
2012年3~4月
抑うつ気分と希死念慮が何度も繰り返される
もしかしてやっぱうつかなぁ?と考えたりもしたが、これらの症状はよくある一過性の月経前症候群によるものだと判断し、やっぱり放置する
自分に限ってうつは絶対にあり得ないと考えた
2012年5月
気力や集中力がさらに低下し実習に支障を来すようになる。当然叱咤される。保護者にも連絡を入れられるほどの惨状だった。
とある言葉によって自分の生きる意味を全否定されてしまった。そのためだけに生きてきたようなものだったから、完全に心が折れてしまった。
これにより抑うつ気分と希死念慮に拍車がかかり、生きる意味ないし死のうかな…と繰り返し考えては落ち込む。
誰にも相談できなかった
2012年6月
まさに「顔で笑って心で泣く」状態だった。
友達には落ち込んでいるところを見せるわけにはいかないと思い、変にテンションを上げ元気なフリをしていた。これ、躁状態だったのかも?
生きる意味なんてもうないし…と死ぬ覚悟を決めるが、ただ一人、私の様子に気付いて見守ってくれている友達がいたし、奨学金の返済のことが頭によぎったため思い留まった
泣きながら母に電話を掛けるようになる。
※補足
とにかく苦しかった。死にたい気持ちで頭がいっぱいだった。
学業に手をつけられなくなり、頑張りたいのに頑張れない。やらなきゃいけないとは思うのに、気力がついてきてくれなかった。
思いだけが空回りして、空回れば空回るほど苦しくなっていった。
「私は絶対にうつじゃない。甘えているだけ。私みたいのがうつだなんて言ったら、本当にうつ病で苦しんでいる人に失礼だ。」そう自分に言い聞かせ、自分で自分を追いつめ、責め続けていた。
生きるのが辛くて、勇気さえあればいつでも死ぬつもりだった。
2012年7月中旬
母が私の様子が変だと気づき飛んでくる。明らかにおかしく、ただごとじゃないと思ったらしい。
疲弊して気力が減退し、抑うつ気分も酷く本当に何もできなくなっていた。
教務主任に相談し三者面談を願い出て、その席で心療内科の受診をすすめられた。
2012年7月22日
せき止めていた思いが決壊するかのように爆発し、過換気を起こしながら寮の屋上でわんわんと大泣きした。自分はもう限界だと悟った
2012年7月22日
心療内科を受診。明らかにうつ病だと診断される。
抑うつ気分も気力減退も何もかも病気のせいだと言われ診察室で号泣。
早急に休学し地元に戻って治療するように言われる。残り数日で夏期休暇だったので、とりあえず休学は保留にして帰郷。
2012年8月1日
地元精神科を受診。
やはりうつ病であり、休学が必要だと言われる。過換気になり、泣きながら話をした記憶がある
体重を測ったらびっくりするほど減っていた
2012年8月23日
正式に休学手続きをするために登校。休学届が受理され、顔面蒼白になりながら同級生に休学する旨を説明する。病名は伏せた。死人のような顔をしていたらしく、甚く心配された。別れを告げて泣きながら帰った。本当に辛かった
2012年9月8日
入眠困難、中途覚醒、早期覚醒、かと思えば過眠などの睡眠障害が現れ始める。なんか症状悪化してないか?って思った
2012年9月26日
双極性障害Ⅱ型と診断が変わり、主な薬が抗うつ薬から気分安定薬に切り替えられる
2012年9月27日
リストカットを母に発見され病院へ連れて行かれる
医師と面談し、詳しい検査のためにも、また家族の休養のためにも入院を、とすすめられた
2012年10月4日~11日
閉鎖病棟に任意入院
夜は不穏で興奮し寝付けなかった
看護師に傾聴してもらい、追加の眠剤を飲んでやっと眠る
入院中に知能検査と性格検査を受けた。
ウェクスラー成人知能検査WAIS-Ⅲと精研式文章完成法テストSCT
泣きながら臨床心理士さんに話を聞いてもらった
たった一週間の短い入院だったけど、もう二度と入院したくねぇと思った
※補足(療養環境とか、感じたこと)
実習で行った閉鎖病棟と違いすぎてかなりびっくりした
はっきり言って最悪…とまではいかないかもだけど、良いもんじゃなかった
多床室は6人部屋(2人のとこもあった)で、個々のベッドを仕切るカーテンがない。私はこれがかなりイヤだった。あとそれ以上に嫌だったのが、トイレの個室に鍵がかけられないこと。プライバシーの保護と羞恥心への配慮は?!って思った…
携帯持ち込めないのはまあしょうがないって思ってたけど、ウォークマン持ち込めないのはかなりキツかった。ほんとに何もすることがなくてぼーっとしていることが辛かったから、せめて音楽だけは聞きたかったなぁ。後に他の患者さんから、「以前病棟内でイヤホンのコード使って自殺した人がいたから、抑うつ状態の人にはそういうの許可できないみたいだよ」って教えてもらった
多忙だった実習中も辛かったけど、逆に何もできないのも辛いんだなって分かった。何かしたいのに、本当に何もすることがないから、早く外に出たかった。窓から散歩してる人を見て、あの人は自由に外を歩けていいなあとか思ったり
ほんと何もできないから誰かに構ってほしかったけど、看護師さんは私だけを看てるだけじゃないから忙しいし、他の患者さんにも自分の時間があるし、看護学生ついてくんないかなーって思った笑
2012年10月19日
感情がコントロールできなくなり病院へ
医療相談員さんと総師長に宥められる
2012年10月25日
知能検査と性格検査の結果が出た。
知能はムラがあるが平均すればIQは正常
性格は他人からの評価に怯え、自己評価がとても低いようだとのこと
その自己評価の低さが抑うつに繋がっていると言われた
2012年11月19日
生きてる意味がわからないと母に泣きつく
2012年11月20日
オーバードーズで緊急入院
入院時の記憶が全くない。
ODと言っても全然大した量じゃない。
ベゲタミン-B配合錠 8錠、ロヒプノール錠2 2mg 2錠、グッドミン錠0.25mg 21錠、計31錠の睡眠薬を飲んだらしい。
今となってはなんでこんなことしたんだか理解できない
たった31錠が致死量なわけがない。そんなことわかりきってたはずなのに。
とにかく、まともな思考ができてなかったのは確か。
2012年11月21日
看護師に起こされ今いる場所が病院だと気づく
この前と同じ閉鎖病棟だった
保護室じゃないけど、看護師の目の届く場所に寝かされてた
こんなことして、看護学生を名乗る資格なんかない。きっと退学させられる…、とかいろいろ考えては絶望して泣いた
主治医に翌日退院と言われ、退院したら近所の給水塔から身を投げて今度こそ死んでやると決意
2012年11月22日
心理検査に外来へ連れて行かれるが、情動失禁が酷く大泣きして検査にならなかった
臨床心理士さんに、とにかく自分が生きている意味が全くわからないと訴えた
始終泣き通しで、「そんな状態で退院して、また死のうとしない?」と問われ「死なない」と嘘を吐く。
心理士さんはその道のプロだから、私の嘘なんてたぶん見抜いてた。
そんなこともあり、情動失禁が酷く情緒不安定で、このまま退院したらまた自殺を図るおそれがある、と判断され退院延期となった
それを聞いてまたさらに泣いた
2012年11月24日
同病の患者さんに、「私、身投げしたけど死ななかった。足から落ちて助かって、後遺症残っちゃって今凄く惨めな思いしてる。やんなきゃよかったってずっと後悔してる。だから飛び降りなんて止めな、貴女は人生を諦めるにはまだ早いよ」って言われた
後遺症で硬直する手で、一生懸命手紙も書いてくれた。
ああ、私、生きなきゃって思った。
2012年11月26日
今度は落ち着いて検査を受けられた。
ミネソタ多面人格検査MMPIという検査だった
2012年11月27日
この日も心理検査だった。
あの有名なロールシャッハテスト
2012年11月28日
落ち着いたので退院。
入院時の記憶が全くなかったので、医療保護入院かと思っていたら任意入院だったらしい
確かに自分の字で署名していた
2012年12月6日
医師に自分が怠けているようにしか思えないと訴えると、それは今まで頑張り過ぎてきたからだと言われる。自分では全くそうは思わない。
入院での検査の結果、私はやっぱり抑うつ状態で、自己評価が極端に低いことがわかった。所謂、認知の歪み。
「考え方を変えるのは難しいけど、少しずつ変えていこう」と言われた
2012日12月30日
再びリストカットする
躊躇い傷程度のものではなく、出血量が多い深いものになった
以降、繰り返すようになる
2013年1月4日
リストカットを繰り返し
痂皮がケロイドになり消えなくなっていく
2013年1月7日
診察時、怠けているように感じて自分を責めるのは、病的思考によるものだと諭される
臨床心理士さんに話を聞いてもらい安心する
前より良くなってきているね、と言われた
2013年2月9日
自傷がやめられず
ケロイドが増えていく
2013年2月14日
友達から国家試験頑張るよ、というメールが届き、動悸と過換気を起こす
やっぱり悔しかった
2013年2月23日
希死念慮が再燃するが落ち着く
2013年3月10日
また希死念慮が再燃し死にたい殺せと騒いだが、これ以降は気分が安定する
2013年3月21日
復学を許可される。
許可というよりは、「まあ試運転的にやってみよう」って感じ
くれぐれも無理をしないよう釘を刺された