昨日。亡くなった父に、手を合わせてきました。
18年ぶりの父の実家では、父の兄であるおじさんが「よく来た、覚えてたか?」とあたたかく迎えてくれました。
弟との連名で包んだ香典も、しっかり受け取ってもらえました。
久しぶりに見た、遺影の父の顔。最後に見たときより少し丸くなっていましたが、面影はそのまま残っていました。
お線香をあげ、手を合わせて、
わたしは夢を叶えて看護師になったこと、弟は先月結婚したこと、妹は今年で成人すること、
育ててくれたことに感謝していること、さようならとおやすみなさいを伝えました。
おじさんへの手土産にビールを3缶だけ持っていったのですが、「あら、ビール、お父さん好きだったんだよ、あげてきなさい」と言われ、父の祭壇へ。
ぽつりぽつりと、おじさんが父のことを話してくれました。
父は、おじさんとは別にアパートを借りて暮らしていて、
8月末、ご近所さんより部屋から異臭がするという報告を受けた警察とおじさんが確認しにいったところ、腐乱シ体になっているのを発見されたのだそうです。まだ60歳、でした…。
父は、母の家にお婿さんとして入った人なんですけど、「俺に小埜寺姓は似合わない」と言っていたので、てっきり離婚後に旧姓に戻したんだろうなと思っていたのですが、苗字は小埜寺のままにしていたようです。
そのことについて、おじさんは、「子どもたちと同じ苗字でいたかったんでねぇかな」と言っていました。
季節が巡るたびに、「ヤヨイは中学に上がった頃かな」とか話したり、弟の中学の体育祭をこっそり見に行ったり、わたしたちのことを気にかけたりもしていたそうです。
おじさんの話を聞いてたらまた泣けてきちゃって、わたし、本当はやっぱり悲しかったんだなぁって。
でも母の手前、悲しんでいる姿を見せるわけにもいかないので、それがけっこうつらいです…。
父さん、一人で寂しくなかったかな、
亡くなるって分かってたのなら、わたしたちが大人になった姿を見せたかったな。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれませんが、こうして死後会わせてくれたおじさんには本当に感謝です。事情が事情なので、会わせてもらえない可能性もあったわけですから…。
離別していたとはいえ、身内が亡くなるって、こんなに悲しいことなんですね。
いつもシにたいとばかり言っているわたしですが、父の分まで、天命がくるまで、頑張って生きなければならないなと感じました。
父は最期にそれを教えてくれたのかな。
どうか安らかに眠ってください。
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