2023/11/15 18:56

看護学校寮の思い出※長文です


小埜寺、看護学生時代、休学中除くと約3年に満たないぐらいの期間、看護学校の学生寮で生活しておりました。

いつか寮生時代の失敗談とか笑い話とかまとめて記事にしたいな〜と思ってたのですが
時期を逃しに逃しまくり、退寮してから気付けば10年以上の月日が経ってましたね……。

わたしが入った看護学校の寮は、個室寮ではなく他学年と2〜3人相部屋オンボロ大変歴史を感じる建物でした。
一部屋の広さは10畳?で、備え付けの本棚&机、デスクライト、鍵付きのロッカー、天袋、押し入れがある和室。室内にはカーテンやパーティションなどといった仕切りの類は一切ありませんでした(もちろん窓にはカーテンあったけど)。

玄関、トイレ、食堂、談話室、浴室、洗面所、物干し場などは共用だし、居住スペースは相部屋なので、完全に一人になれる場所って言ったらトイレの個室ぐらいしかありませんでしたね。

暖房は各部屋に備え付けのがあったんだけど、エアコンなんてハイカラなものは無く、扇風機の持ち込みも禁止で、1階の部屋は防犯上、24時以降はセキュリティがかかるので窓を開けることが出来ない為、夏は地獄でした。

テレビは寮母さんの部屋、食堂、談話室にしかないんだけど、談話室の使用は許可制であまり使う人がいない感じだし、談話室のテレビ、なんと地デジ非対応のブラウン管(わたしが入学したのは2010年だったのでギリ映りました笑)だったため、実質寮生がテレビを視れる場所と言えば食堂のみでした。チャンネル権を握るのはもちろん先輩。

居住スペースは縦割りの相部屋なんだけど、わたしが入学した年は、
①3年2年1年、の3人部屋
②2年1年1年、の3人部屋
③3年2年、の2人部屋
の3パターンが存在しました。

わたしが割り当てられた部屋は②の2年1年1年部屋だったので、入った当初は、①の子よりは気は楽っしょ♪と余裕こいてたんだけど、
2年生の先輩は寮長で寮則絶対!の人だった上、もう1人の1年生が夏休みに入る前に退寮してしまったが為に、同級の寮生には気の毒がられてたらしい。

寮則で今もわたしが覚えてるのは、
掃除は朝の5:50〜6:00、
朝食は6:00〜8:00、
夕食は18:00〜20:30、
門限、入浴は~20:45、
消灯時間は21:00。
寮内では携帯マナーモード設定。
目覚まし時計含めアラーム禁止のため朝はバイブで起床すること。
ドライヤーの個人所有禁止(共用)、使用可能時間内に洗面所のみで使うこと。
電源を必要とする家電(携帯電話、PCは除く)の持ち込み禁止(なのでヘアアイロンとかコテの類もダメなんだけど、部屋の先輩によってはこっそり使ってる人もいました)。
成人済みでも喫煙NG。火気厳禁。
居住スペースでの通話は禁止、下級生は屋上の物干し場、上級生は食堂でのみ通話可能。
浴室から出て洗面所にいる間、他の寮生が来たら「あと○人(浴室に)入れます」と申告すること。
21時、消灯のチャイムが鳴ったら下級生が部屋の照明を消す(デスクライトは点けててよい)。
23時になったら下級生が暖房の電源を切る(先輩が起きてても先輩に切らせてはいけない)。
外泊は土日のみ可で申請が必要。
週番が回ってきてても外泊は出来るが、その際は同級生に代わってもらわなければならない。
って感じかなぁ。
あ、あと寮の敷地内では寮生同士の挨拶禁止(寮母さんへの挨拶はOK)ってのもあったな。他にもあったかもしれないけどわたしが覚えてるのはこれくらい。
年2回、4月と10月に部屋とメンバーがシャッフルされる部屋替えがありました。

ここまでが前置き。以下より小埜寺の寮生時代の思い出の数々です。

〜1年次編〜

・寝相が悪く先輩の布団に侵入し怒られる。

・ヤヨイの携帯のバイブ音うるさいと怒られる(怒られてもどうしようもない)。

・ビニール袋のガサガサ音もうるさいと怒られる。

・同室の同級生とあたりめを食べてたら「いか臭いんだけど!」と怒られる。

・先輩に反抗しまくる一部の同級生のせいで連帯責任でルーズリーフ1枚分の反省文を提出させられる(理不尽)。

・自転車の鍵が壊れて解錠できなくなり、修理のためなんやかんや寮母さんにご迷惑をかける。

・部屋で虫退治担当してたら、先輩にヤヨイは虫平気だから!という話が広まり、各部屋の虫退治に呼ばれるようになる。
→そのせいで苦手な便所コオロギを退治しなければならない状況になり、泣きながら始末する。

・胃腸炎を起こし実家に帰省できなくなる事態が発生。

・部屋替えでアニオタの3年生の部屋になり、夜中まで語り合った。

・3年生が卒業した数日後、東日本大震災が発生。しばらく避難所と寮を往復の避難生活を送る。

〜2年次編〜

・寝相が悪く今度は後輩の布団に侵入しドン引きされる。

・共用の冷蔵庫に刻んだネギをストックしてたら同級生にヤヨイのせいでネギ臭いと怒られた。

・冷蔵庫に保管してたなめ茸をカビさせてしまい同級生にドン引きされる。

・後輩が迷子になり自転車で迎えに行く。

・週末になると帰省する寮生が多く、週末に残っている寮生が固定されてきており、残ることが多い4人の同級生でわたしたち週末四天王〜とかいう謎の連帯感が生まれる。

・通生の友達に録画してもらってた黒執事を週末に練氏と試聴するのが楽しみだった。

・寮にヘビが出て捕獲を試みるも失敗、先輩が捕獲してくれて大喝采。

・同級の寮生みんなでお好み焼き屋さんで打ち上げ。

・自転車で走ってたら車にはねられた。
→はねられた瞬間「あ、やばい」と思った。冬場で厚着してたから軽症で済んだ。

・国家試験を終えた先輩(元寮長、最初同室だった人)が超おだっててうるさくて学校にチクる。
→お前わたしと同室だった時バイブやビニールのガサガサ音うるさいって注意してただろ!ってめちゃくちゃ腹立ったし我が振り直そうと思った。

※この頃から精神が病んできてて、「同室の後輩ちゃんに嫌われてる!」と同級生に泣きついてウザがられてた。

〜3年次休学前編〜

・同室の後輩がちょっとした問題を起こしてしまい、同級生にお前の教育はどうなってると怒られる。

・同室の後輩から、ヤヨイさん自転車で事故ったことあるって聞いたので……と交通安全のお守りをもらう。

・過眠で事前学習や実習記録が書けなくなり、完全に精神が病み休学。

〜3年次復学後編〜

・復学し1つ下の後輩ちゃんたちと同級になる。
→事情を知らない新入生には「バカすぎてダブっちゃった〜わたしみたいになんないでね〜」と自己紹介してた。

・実習でまた精神が不安定になり後輩に心配される。

・門限を破り外出し**未遂、退寮処分を受ける。

……という感じでした。復学後が悲惨すぎて草
上下関係めっちゃ厳しくて慣れるまで大変だったけど、なんやかんや楽しかった思い出があります。

ちなみにわたしが卒業する年までオンボロ歴史を感じる佇まいだった寮は、
わたしが卒業した翌年に新築移転して個室寮になったらしいです。なんか悔しい。
現在、わたしがいた頃の寮は取り壊されて跡形もありません。

ツイステやってるとときどきわたしにも寮生活してた時代あったんだよな〜と懐かしくなるのでまとめてみたです。

ちなみに、寮の名前は「 東雲しののめ 寮」でした。

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