元精神科ナースの独り言です。
自殺報道ガイドラインはどこまで浸透したか 悲劇の連鎖を繰り返さないために求められていること
これ、本当に報道の仕方考えてほしいなって思ってます。
あの座間事件とか、拳銃使って…っていう高校生の子とか、最近だと木村花さんや三浦春馬さんとか。
わたしも希死念慮たまにぶり返すし、未遂も何度かやらかしてるから、自ら命を絶つ選択をしてしまう気持ちはわかるんです、もちろんその理由やつらさは人それぞれだと思うけど。
ウェルテル効果という現象があります。マスメディアによって自殺の報道がなされると、その報道に影響されてまた自殺してしまう人が出てしまう。悲しいことに、自殺は連鎖するんです。
わたしは、自殺した人は悪くないと思うんです。苦しんで苦しんで、さいごまで悩み抜いた結果そういう選択をしてしまった。責められるべきなのは本人ではないと思うんです。
(だからといって気づけなかった周囲が悪かったと言いたいわけでもないです、悪かったのはそういう選択をさせてしまった環境にあると思います、わたしは。)
少しわたしの話をさせてください。
わたしもずっと生きづらさを抱えて生きてきました。
背景にあったのは、元父からの虐待でした。父が怖くていつも怯えていた。わたしは所謂「アダルトチルドレン」というものだと主治医に言われました。
初めて自殺未遂をしたのは、たしか中学生の頃。首を絞めたけど、だんだん周りの音が聞こえなくなっていき、やっぱり怖くなって絞める手を緩めてしまった。自傷行為を始めたのも、たしかその頃でした。高校の頃は少し落ち着いていて、看護学校時代はつらいことも多かったけど、途中までは楽しく過ごしていた。
その後の流れは、これまでもたびたび日記にあげていた通りです。
アイデンティティを全否定されて、生きる意味がわからなくなり、鬱を発症。
自傷行為や希死念慮がひどくなり、閉鎖病棟にも入院しました。
飛び降りようとしたり、頚を切ったり、除草剤を飲んだり、過量服薬したり。
それでも死ななかった。死ねなかった。生きることをやめたいくらいに苦しいのに。
だから、自殺してしまった方がどれだけ苦しかったかということは、痛いくらいわかる。
「軽々しく死にたいなんて言うな」とか、「あなたが死にたいと思った今日は昨日死んだ人が生きたいと願った今日」とか、「もっと苦しい人なんてたくさんいる」とか、「お前が死んだら家族や友達が悲しむ」とか、綺麗ごとや正論言われるのもどれほど嫌だったかもよくわかる。
そんなこと知るかって感じなんですよね。とにかく死にたくて死にたくてたまらなくて、頭の中はどうやって死ぬかってことばかり考えてて、生きるのが本当に苦痛でしかなかった。
それでもわたしが今こうして生きているのは、治療のおかげなのはたぶんもちろんそうだと思うんだけど、それ以上に感じているのは、抑うつ状態や希死念慮などの症状を自分で客観視できるようになったことでしょうか。今つらい気持ちになっているのは病気のせいなんだ、と割り切れるようになりました。
もう一つは、時間経過かなと思います。なんやかんやで結局時間が解決してくれたような気もします。
今死にたいくらい、つらいと思っている人へ。
ありきたりな言葉で聞き飽きているかもしれないけど、どうか、独りで悩まないでほしい。あなたの問題をあなただけで抱え込まないでほしい。
「死にたい」、「消えたい」と思うのは、正常な精神状態ではないんです。あきらかに異常で、治療を要するレベルの状態なんです。誰かに相談して、適切な支援と治療を受けてください。
このブログ読んでくださってる方、そんなにいらっしゃらないと思うけど、
「死にたい」と思う誰かに届いたらいいなって思って書きました。ここまで読んでくださった方はありがとうございます。
どうか、死にたい人の心と命が救われる世の中になることを願って――。
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